濱風炉 ハマブロ

濱音の公式ブログです。
カテゴリ:◆濱音ヒストリー◆( 29 )
CLUB24で君が待っているんだ
第一譜ではたまご☆ピリへ送る歌があった。
「ブルーチーズ」という曲を2人に内緒で練習し、サプライズでセッションした。

対バン(濱音はこういう感じじゃないけどね)の他アーティストの曲を
コピーするというのは非常に面白く、コード進行・詞の世界観・歌いまわしのクセなどなど深く理解していくと、あぁやっぱりこの曲はこの人にしか生み出せないんだなと思う。
濱人はそれぞれがそういう力を持っていたと心の底から思う。

そして「ブルーチーズ」はまさにそんな曲だった。

セッションでもう1曲、GO-BANG'Sの「Bye-Bye-Bye」を歌った。
オリジナルは全然知らなくて、TAKU(オオゼキタク)さんが歌っているのを聞いて覚えた曲。そして名曲。

路上、ライブハウス、メディア、様々なルートで始まった出会いが、
化学変化と笑いを生み出し、そしてたどり着いたCLUB24のステージ上から
見た景色は一生忘れることが出来ない。

セッションの最中、「BYE-BYE-BYE」に合わせて揺れるお客さんの手とステージ上の手が一つのグルーヴになって、この空間に参加できている事にこれ以上無い幸福感を感じ、自分たちで生み出した何かが始まったんだと胸が高鳴りっぱなしだった。


数え切れないエピソードと感動、可能性、笑いをもらいながらいろんな形で濱音に参加させてもらったけど、残念ながら明日CLUB24で君には会えません。

でも、それでも自分たちで作り出したムーブメントが、
遥かにパワーアップした面々によって明日鳴らされる事を
本当に嬉しく思ってます。

今回オファーをくださったTAKUさんにホントに感謝してます。

明日、横浜はどんな音が鳴るんだろう。
仙台に届くくらいの濱音を鳴らしてください。

元neddy ヤス
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by hamaoto | 2007-11-29 22:49 | ◆濱音ヒストリー◆
濱音ヒストリー まとめ
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濱音ヒストリーが順番に読めるように、並べ替えてみました。
つるっと読んでおくと、濱音がより楽しめますよ!

その1「横浜駅西口」
その2「路上ライブがアツい!」
その3「濱人~Green Piece・はいからさん~」
その4「濱人~スカッコ~」
その5「濱人~P-POP~」

その6「左近山で見たもの」
その7「濱人~たまご☆ピリ~」
その8「濱音の作り方(こだわり)」
その9「どんどん良くしていこう」
その10「濱音の作り方(打ち合わせ)」

その11「濱音の作り方(映像)」
その12「特別な場所、CLUB24」
その13「見守ってくださった方たち」
その14「濱音~第一譜~」
その15「春の便りでひらめいた」

その16「花音~桜花抄~」
その17「雨が憎くてひらめいた」
その18「雨音~雨楽祭~」
その19「濱音~第二譜~」
その20「風音~紅謡樹~」

その21「変化の波が押し寄せる」
その22「濱音~第三譜~」
その23「ワールドカップがやってくる」
その24「蹴音~濱大将~」
その25「ツキオンと濱音」

その26「波音~濱辺歌~」
その27「濱音~第四譜~、そして」
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by hamaoto | 2007-11-29 00:45 | ◆濱音ヒストリー◆
濱音ヒストリー その27
クリスマスといえば、
サンタクロース、もみの木、降り積もる雪、煙突、プレゼント、トナカイ、パーティー・・

STOP!

「トナカイ パーティ」?

これが第四譜のテーマとなった。

当時、中原明彦の曲で「鍋パーティ」という曲があった記憶がある。
「濱音-第四譜-」の出演者たちがネギ、白菜、うどん・・次々と食材を持ち寄って鍋を囲むが、メインとなる肉が足りない。肉担当の中原明彦が、来る途中にトナカイ(田村達司)を捕獲し、鍋の食材として連行する、というしょうもなくも愛に満ちた「トナカイパーティ」のストーリー映像で幕があけた。
田村達司のふてぶてしいトナカイ姿が逆に可愛いと評判を呼んだ。オープニング映像から見逃せないのが濱音のにくいところである。
予告ムービーの後半で、その一部を見ることができる。

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2002年12月19日(木)
濱音~第四譜~ TONAKAI PARTY (CLUB24YOKOHAMA)
磯部俊行 Green Piece TAKU JETTER3 ゑこらい たまご☆ピリ

ハイカラとして活動してきた磯部俊行はソロで参加(のちにたまご☆ピリのメンバー田村達司とバンドYS-11を結成することになる)。ツキオンで出会った男女混成バンドゑこらいと、横浜美術短大の学園祭で濱人と共演することも多かったバンドJETTER3が初参加。たまご☆ピリ(中原明彦・田村達司)は第一譜以来の再結成となった。

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最後のセッションは「恋人がサンタクロース」。
男どもが力強く歌うその様は、一種異様な光景ながら、無心にいい音楽を楽しむ喜びにあふれていた。




これが前回までの「濱音」のすべてだ。

あれから5年という月日が、出演者にもファンにも降り積もった。
長いようであっという間だった気もする。

当然のことだが、
それぞれの音楽は確実に進化を続けた。

みんなを一つに繋げていた「横浜」という括りが、より大きなフィールドへのステップアップを目指すうえで窮屈になってきたのはどのアーティストにとっても同じだった。
活動を見つめなおす中で、その活動に終止符を打ったグループもあれば、メジャーフィールドに挑戦する覚悟を固める者も出てきた。ファンとミュージシャンで作ってきた温かく幸せな「輪」さえ、勝ち抜いて行かねばならない勝負の世界に飛び込む上で足かせに感じる者もいたかもしれない。自らの活動に手一杯で、オファーがあってもOKできない状況というのもあっただろう。
ファンは置いてけぼりを食ったように感じたかもしれない。会うたびに「濱音はいつやるんですか」と聞かれ、何度か後ろめたいような気持ちになった。でも進まなくちゃならない現状があり、過去に「戻る」ことこそ最大の禁忌であるはずなのだ。

ファン自身も成長をしたと思う。
聴いていた音楽はある時期「最高」だと思っても、時が経つにつれ思い出に変わってしまう。新しい音、魅力的な音を奏でるグループががひっきりなしに生まれ続けるこの世の中で、好きで聴く音楽はどんどん変わっていくだろうし、仕事や家事で今まで通りに音楽を愛せない現状にある人もいるだろう。
しかし聴いてきた音楽は人格形成に大きく影響を与える。一生懸命になったその時期があってこその、今の自分。「昔のあのユニットでもう一度歌ってほしい」そんな思いがあるのは当然のことだ。ただ、5、6年前のまんま焼き直した音楽をやったとして、懐かしいと感じればいいが、古さを感じさせてしまうリスクはどうしてもついてきてしまう。でも今の音楽を見せたところで、それがちゃんと受け入れてもらえるだろうか。不安は正直、拭い去れない。



それでも、だ。


2007年、
「CLUB24の閉店」という衝撃的な事実をきっかけに僕達は集まることを決めた。
音楽性もバラバラだし、メッセージもスタイルも全然違う。本人や周囲の思惑もあるだろうし、急な呼びかけだったので宣伝もろくにできていない。こうやって集まるのはひょっとしたらこれが最後になるかもしれない。24(トゥーフォー)では実際、最後だ。



ふと、

2000年の横浜駅西口駅前広場や、2001年最初の濱音を思い出す。

やっぱり、あの「輪」が好きだ。

歌が、仲間が、集まってくれる皆が大好きだ。

そんな想いがいつも、僕たちを突き動かしてきた。



もう一度、「横浜を、鳴らせ」。

濱音!




(あとがき)

正直、たった1ヶ月半前の出演呼びかけには、かなり無理がありました。
今回出演の7組も、直近に大事なライブを控えていたにも拘らず、色んなところに頭を下げて「濱音」のためにスケジュールを作ってくれたことに感謝です。

それから過去の濱音に出演し、現在も活躍を続けていて、出演を検討してくれたものの「もうちょっと早く教えてくれれば!」と出演を見送らざるを得なかったグループが何組かあったことも付け加えておきます。そんな皆にも心からの感謝を言いたいと思います。ありがとう。

さぁ、2007年11月30日、
「濱音-第五譜-」開催です。

TAKU



開催まであと2日。
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by hamaoto | 2007-11-28 01:37 | ◆濱音ヒストリー◆
濱音ヒストリー その26
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潮風に波の音、夕陽に映える富士山、夜は星きらめく空に向けて花火を打ち上げる。
のんびり濱辺の音を聞きながら、ライブができたらどんなに素敵だろう。

そんな「本当の濱」音をやろうよ。
そう声をかけてはみたものの、実現できるかは当初、半信半疑だった。

横浜駅~関内あたりは港なのでとても泳げるような感じではない。神奈川県で海水浴といえば三浦半島エリアか、鎌倉~茅ヶ崎あたりの湘南エリアである。

三浦半島の付け根、葉山の海にピースフルな濱辺がある。
そんな情報を聞きつけたTAKUは実際に足を運んでみることにした。

横浜レゲエの本拠地ともいうべき葉山森戸海岸のOASIS、葉山一色海岸には竹でできたオーガニックなBlue Moon。それぞれが、都内のライブハウス大箱をいっぱいにするアーティストが好んで通う、魅力的な音楽の息づく場所だった。
ハワイアン、島歌、ボサノバ、ジャズ、太鼓、ゴスペル・・多種多様な音楽が連夜、ここ葉山を揺らしていた。別荘の住人や外国人、心地よい生活を求めて移住してきたミュージシャンが多く、音楽を鳴らすことが生活の一部となっているような感じさえある。

企画書を持ち込んだが、思いついたのが遅かったためかスケジュールに余裕がないと断られた。葉山で歌ものイベントはやはり難しいか・・

とぼとぼと一色海岸を歩いていると、もう1軒海の家があった。いや、海の家というには少し小さな「海小屋」であった。マスターの村野氏に企画を話すと「アコースティックなイベントであれば」と快いお返事。ようやく、濱音イベント「波音」の開催にこぎつけたのである。

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2002年8月7日(水)
波音~濱辺歌~ HAYAMA BIG WEDNESDAY(葉山一色海岸 海小屋MANA)
JETTER3 田村達司 Green Piece Good Lovin' はしもとひろき 中原明彦 sonorous Choji TAKU YASKI

横須賀線逗子駅からバスで20分。
アクセスが横浜より少し離れたが、「本当の濱」音を楽しもうと約100名が足を運んでくれた。薄曇って暑さの和らいだこの日は絶好のライブ日和だった。

富士山越しに沈む夕陽、はしもとひろきの歌が冴え渡る。自然を楽しむ術を熟知したツキオンチームの、景色に沁み込んでいくような音の質感もいい。鍵盤弾き語りのsonorous、バンドのJETTER3、ソウルフルなGood Lovin'が初参加してくれた。みんながみんな、曲のブレイクの合間に聞こえる波音に耳を澄ました。なんていい日だろうと思えた帰り道のバスの中で、最後を飾る花火を思い出していた。参加してくれたみんな、覚えているかな。

この翌年、「波音」続編を行おうとするも、悪天候により開催を阻まれてしまう。
思えば、これが最後の濱音イベントだった。




2002年、冬。
路上ライブの盛り上がりから始まった当初の「濱音」からは予測もつかないほど本格的なイベントへと発展していた。ある者は音楽事務所が決まり、ある者はそこから一度距離を置き、ある者は原点回帰してそれぞれの今やりたい音を実現する。横浜を鳴らした彼らのほとんどが活動の中心を東京に移していた。

そこにあるのはもう、下手くそだけどガムシャラで力任せな勢いではなく、試行錯誤と練習を重ね、苦渋をなめてようやく辿り着いた音楽であった。想いの根っこは同じだ。聴いてくれるみんなの心を動かす音楽をやりたい。

濱音史上、最も音楽的にバラエティに富んだ「濱音-第四譜-」の開催が2002年12月に決定。

12月、「クリスマス」でちょっと捻った、いいアイデアはないか。
天王洲アイルの畳敷き打合せ室に出演ミュージシャンが集合して、撮影がはじまった。


つづく。

開催まであと3日。
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by hamaoto | 2007-11-27 02:22 | ◆濱音ヒストリー◆
濱音ヒストリー その25
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今日は濱音から少し離れて、ツキオンについて書こうと思う。

「月の音楽会(ツキオンと呼ぶ)」は夏の終わりに横浜・八景島で行われたイベント。
イベントステージを借り切った完全自主制作の野外イベントで、2000年~2002年の3年間開催された。
横浜のライブハウスで行われる前段イベント「アポロ○号」や横浜ベイサイドマリーナ等でのプロモーションライブは、ツキオンに向かって気持ちをひとつに高めていく意味をなしており、常連メンバーのYASKIやゑこらいとともにEiichiやGreen Piece、TAKUがこれに参加した。

ツキオンは主人公が明確である。
Chojiという総合責任者がいて、彼が思い描いた完成形に向かって推進してゆくのだ。
予算管理、映像制作、会場設営、機材搬入出、当日の生ピアノの用意や弦楽四重奏セッションの依頼まですべて、自分たちの手で行われることに驚いた。
YASKIをはじめChojiと想いを同じくするミュージシャンが共同制作する構図で、ほぼ私財をなげうって成立しているといってもいいChojiのライフワークともいうべきイベントだった。

「大丈夫、絶対晴れるから」

その言葉にも表れているとおり、Chojiには強い信念があった。
その信じる力の強さが吸引力となって、ミュージシャンやファンの気持ちを掴んだ。その想いがとても純粋で、憧れに近い思いを抱いたのを覚えている。
Chojiはのちに、自ら音楽制作会社(株式会社ツキオン・エンターテイメント)を立ち上げ現在に至る。

ツキオンと比べると「濱音」は、『輪』から始まっているイベントであった。

一個人の強いイニシアチブで引っ張っていくというよりは、ミュージシャンやそのファンが集まって自然発生的にできる幸せな『輪』を形にできないか、という想いからスタートしたことを思い出した。時と場合により、強権発動で進めて行かねばならない時もある。輪の大切さを知るあまり、主張を躊躇したり、個々の活動をないがしろにしてまで輪の成立に徹してしまったりもする。

それでも、
濱人たちは、その輪をつくっているファンの温かい気持ちが好きだった。
その気持ちに歌で応えようと思った。
その想いだけで、続けて来たといってもいいかもしれない。


「想い」という形の見えないものが中心にあって、それを素晴らしいと思ってくれる人が輪になってはじめて成立する「濱音」。ツキオンのノウハウを吸収し、おおいに影響を受けて改めて自らのスタンスを再認識した出演者たちであった。


ツキオン開催前の2002年8月7日、

僕たちの手で、本当の「濱音」をやらないか。
ふと思いついたアイデアが、実現する。

そして濱人たちとファンは、
一生忘れられない景色を目の当たりとすることとなる。



つづく。

開催まであと4日。
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by hamaoto | 2007-11-26 02:18 | ◆濱音ヒストリー◆
濱音ヒストリー その24
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2002年6月初の週末、
濱音イベント最大規模の「蹴音(けりおと)」が開催となった。

蹴音~濱大将~ KICK AND SHOUT (相鉄ジョイナス・自然の広場)
6月1日(土)
市原俊明 サスケ ゑこらい 高橋知秀 Relief Choji はしもとひろき PHUKET FINE  フジモトタカコ Green Piece
6月2日(日)
ぐりんひる ユーリ うすいまさと Eiichi TAKU YASKI N.U. 児島啓介 田村達司 中原明彦



以前からの濱人であるTAKUや田村達司(ex.たまご☆ピリ)、中原明彦(ex.たまご☆ピリ)、Green Pieceのほかに、
Choji主催の「月の音楽会」からChoji、YASKI、ゑこらい、児島啓介が参加。
現役横浜路上組からはしもとひろき、ぐりんひる、Eiichi(どどんぱ)、Relief(左近山イベントの主催者優くんのバンド)がそれぞれ登場。
Green Pieceとともに桜木町路上で名を馳せていたのはフジモトタカコ、PHUKET FINE。
ライブハウス新横浜BELL'SでTAKUが知り合ったN.U.、ユーリ、うすいまさと、高橋知秀らも出演。ユーリはChikakoの「#157song」の原作者。
大宮路上からは「Street Fighters」に登場する前のサスケが駆けつけた(ハイカラ俊くんつながり)。

二日間にわたる祝祭空間は、盛大に幕を閉じた。規模はインディーズの無料イベントながら二日間の延べ入場者数は1,000人を越える一大イベントとして形を成した。

確かに、通常のイベントとして考えるならば、成功と言っていいだろう。
しかし、以前から大切に守ってきた「濱音」独自の空気とは明らかに違うものとなっていた。
ファンも、それぞれの好きなミュージシャンのステージが終われば入れ替わり、「トータルで楽しめる」イベントとはいえなかったし、そもそも総入場者数を考えたときに、どだい無理なコンセプトであった。

出演者一人一人が「呼ばれたから歌う」という従来のイベントとしてでなく、出演者一人一人が「濱音」というイベントを良くするための方策を考え、時間も惜しまず集まって、自分のできることを差し出し、手間を惜しまず共同で作業して一つの幸せな空気を作って行く・・そこには横浜への、そして仲間への愛やリスペクトがあった。

規模が大きくなるにつれ、書面に書かれた「企画意図」「コンセプト」といった言葉だけでは表せないあの「空気」-あの思いやりの集積からはじまった当初の横浜路上の幸せな空気の実現が
がいかに難しいか、いやそもそも奇跡のようなバランスで成り立っていたのかを思い知ったのであった。
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「蹴音」が終わり2002年、梅雨の雨も盛りを越え夏の声が聞こえる頃、
P-POPのメンバーだった東(あずま)龍太郎が、メジャーデビューを果たした。

濱音を立ち上げたメンバー誰もが、濱人仲間の東のデビューを心から喜んだのは言うまでもない。心から誇りに思い祝福し、ビールを注いだ。しかし、それと同時に若い東の躍進を知り、多少の焦りを感じ始めていたのも事実だった。

プロとして音楽で食っていく。
最初、誰しもが掲げた雲をも掴むような目標(や夢)。
でもそれが決して手の届かない目標(や夢)でなく、現実として手に入れることができると東は身をもって示してくれた。

新しい音楽を貪欲に吸収し、寸暇も惜しまず作曲に没頭すること。横浜や東京に限らず全国へ広がって行くプロモーション活動。著名人たちとの交流。
好きな場所への一途な愛や中途半端で内輪受けな笑いだけではやっていけない、常に新陳代謝が問われる勝負の世界と向き合うことを決意した彼は心なしか強く見えた。

当然のことであるかのように、次第に濱人から距離ができていった。
寂しかったが、生き抜いていく、勝ち抜いていく世界の厳しさに立ち向かうには、相当な覚悟が必要なんだろうな、と想像した。


温かい場所である「濱音」を、「ぬるま湯」にしたくない。
今後どうあるべきなのか、葛藤が始まった。


そんな中、
「蹴音」で出会ったChojiの、音楽への一途な愛を形にし続ける姿。
対照的で理想的に映った。

幸せな空間づくりについて、
学べるところがあるんじゃないか。



2002年夏の終わり、
横浜・八景島で開催される野外イベント「月の音楽会」の前日。
(「花音」、「雨音」の経験から)天気を過剰に気にするTAKUにChojiは力強く言った。


「大丈夫、絶対晴れるから」。



つづく。

開催まであと5日。
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by hamaoto | 2007-11-25 00:25 | ◆濱音ヒストリー◆
濱音ヒストリー その23
4年に一度やってくるもの。
2月29日。オリンピック。
そして忘れてはならないのが、サッカー・ワールドカップである。

不意に鳴った携帯に出てみると、相鉄エージェンシーの担当者の方。相鉄ジョイナス・自然の広場で開催した濱音イベント「雨音」・「風音」でお世話になって以来、またイベントやらせてください!としつこくお願いをしていたのだった。

「TAKU君、2002年の今年ワールドカップがあるよね。横浜でも盛り上げていこうということで自然の広場が今サッカーのディスプレイになってるの知ってる?」

よく知っていた。
ワールドカップ日韓共催ということで、自然の広場のグリーンのカーペットをサッカーのピッチとみたて、中村俊輔選手(横浜出身)のポスターとでっかいサッカーボールをディスプレイしたイベント会場ができていたのだ。

「あそこで、また歌のイベントやってくれないかな。但し、『W杯を盛り上げるイベント』としてなんだけど」


なんと、二日間も用意してもらっているとのことだった。

せっかくやらせてもらえるのだ、中途半端な盛り上がりではもったいない。横浜路上ライブ繋がりという枠を飛び出し、声を掛けられるだけかけてみようということになった。
結果、総勢20アーティストが出演するという「濱音」イベントの中で最大規模のイベントとなった。

一番大きかったのは、横浜・八景島で野外イベント「月の音楽会」を主催するChojiの参加だ。「濱音-第三譜-」に参加したYASKIが、Chojiの一貫した音楽に対する意識に共感していると聞き、知り合ったわけだが、その後の「濱音」のスタンスにも大きな影響を与えるできごとであった。

2002年開催サッカー・ワールドカップを盛り上げるイベント「蹴音」が実現することとなった。
二日間に渡り、横浜に「濱音」が響き渡った。

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つづく。

開催まであと6日。
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by hamaoto | 2007-11-24 00:06 | ◆濱音ヒストリー◆
濱音ヒストリー その22
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第3回目の濱音、開催。

2002年3月21日(木)
濱音~第三譜~ FLYING START (CLUB24YOKOHAMA)
ぐりんひる(オープニングアクト) Green Piece NUDE VOICE TAKU YASKI 中原明彦


まだまだ寒いけれど、僕らの熱気で一足先に春を始めてしまおう。
そんな想いでサブタイトルは「FLYING START」と名付けられた。

今回は映像面で少し凝ったことをやってみようと、ドラマ仕立ての撮影が行われた。
詳しくは「濱音」予告ムービーを見ていただければ一目瞭然。刑事ものというコンセプトで台本が書かれることになった。

関内CLUB24で事件(=「濱音」)が起きている!刑事たち(=出演者)は会場に今すぐ集合せよ!という設定。関内の大通り公園に集合し、撮影を開始。ちょっとばかばかしいくらいが、丁度いいじゃないか。そのぬるめの温度感も、皆が気に入っていた。
真ん中でマイクを向けているのは、neddy解散後アコーディオン奏者としての活動をスタートした頃のヤス君。今回はスタッフの中核メンバーとして全体を切り盛りした。

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桜木町の東横線ガード下を拳銃を持って走ったり(車から走る出演者たちを撮影)、真剣白羽取り(何故そうなったかは不明)でGreen Piece村松君がケチャップまみれになったりした。ほかにも共同でジングルを何種類か制作した。

演奏面で磨きをかけたミュージシャンたちのライブの転換中は須田さん制作の映像が楽しめるという、文字通り見る者を釘付けにさせるライブとなった。オープニングアクトは、Green Pieceが横浜から桜木町に路上ライブの場所を移したあとの横浜駅西口で路上ライブを開始していた3人組のぐりんひるが担当。スタッフとしても活躍してくれた。

セッションでは、中原明彦作の「濱音ソング」も初披露。
会場が一体となって「横浜を鳴ら」した瞬間だった。


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YASKIのサポートみよしちえのデザインした濱音-第三譜-Tシャツ。
choji主催の「月の音楽会」のテイストが入ったこのTシャツは、今回も完売御礼となった。


濱音第三譜大成功の熱も覚めやらぬ頃、
TAKUの携帯が、鳴った。

つづく。

開催まであと7日。
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by hamaoto | 2007-11-23 03:22 | ◆濱音ヒストリー◆
濱音ヒストリー その21
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「濱音」開催を決意したのは2000年の年末。
そこから約1年が経とうとしていた。

路上ライブは、前ほど自由にできなくなっていた。
ファンが集まりすぎて通行の妨害になると店舗などから苦情が入り、警察官から演奏の中止や場所の移動を求められるようになった。誓約書なんて物騒なものまで書かされるようになるなんて、当初誰が予測しただろうか。
多くのバンドが、路上ライブでたくさんの人に聴いてもらえるというメリットに目をつけ、発電機を用いて爆音でライブを行うようになったりしたのも一因かもしれない。

当然、1,2曲で演奏中止となることも多くなり、自然と客足も遠のいていった。通行人が路上ライブを見る眼差しが温かなものから、懐疑的なものへと変わっていく様は、若干の寂しさを覚えるものであった。幸福な空間は、次第に失われつつあったのである。

出演者それぞれの音楽性も「路上ライブ」を中心としたものからは徐々に変わり始めていた。
路上で歌うことは通行人への訴求力は間違いなく高かったが、演奏や歌唱が大雑把になり深まっていかないという弊害もあったようである。

特に事務所に所属しCD販売を軸に活動をはじめていたハイカラは、路上ライブ終了宣言を行い、本格的にレコーディングやスタジオワークへと専念していった。涙のラストライブは今でも記憶に新しい。他のメンバー達もライブハウスの対バンライブなどで演奏の繊細さを見つめることで、素敵なミュージシャンたちと新たな輪を広げて行くことになる。

neddy解散後、chikakoはkoheiとの新ユニットNUDE VOICEのメンバーとして活動を開始していた。オーガニックでピースフルなサウンドのこの男女ユニットは、これまでの濱音になく本格的な音楽世界への広がりを予感させるものであった。

TAKUと古い付き合いだったのがYASKIだ。
二人組ユニットがたくさん産まれるその前、1995年頃に横浜路上で16歳のYASKIと出会っている。高校生の音楽全国大会Hot Wave Festivalに出場した頃から、既に確固たる世界があった。沖縄楽器を使用した民族的アプローチは歌ものにとどまらず、みよしちえのアコーディオン、sonorousの鍵盤演奏とあわせてYASKIワールドとしか言い表せない独自の世界を広げていった。その安定感が頼もしくもあり、羨ましくもあった。


濱音第一譜から約1年。

幸福な空間を、僕らの手に取り戻したい。

今思えばそんな気持ちが、原動力だったかもしれない。

年が明けて2002年の3月、
音楽的な部分に磨きをかけた3回目の濱音が目前に迫っていた。



つづく。

開催まであと8日。
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by hamaoto | 2007-11-22 00:53 | ◆濱音ヒストリー◆
濱音ヒストリー その20
1年を一日と捉えるなら、夏は真昼。
秋〜冬はというと夕闇から真っ暗で冷たい夜ということになる。

木枯らしが吹く頃になると、街行く人は襟を立てなるべくビルの中へ、とりわけ暖房の効いた場所へと足を急がせる。冷房の効いた場所へ移動する夏の暑い日と同様だが、夏には「祭り」的な不可思議な熱がある。屋外の「暑さ」に音楽の「熱さ」をぶつけて自分たちなりに楽しむ事で、気持ちを更にハイに持っていけるのが夏のマジックといったところだ。

秋口。
歌っている側は、いい。大変なのはファンのほうだ。
盛り上がる曲はいいが、バラードやちょっと切ない歌になると、とたんに身震いするような寒さに改めて気づかされる。手の中で次第に冷めていくペットボトルのお茶や、携帯型のカイロを握りしめて、それでも好きだから、歌に立ち止まる。

歌い手は、辛そうなファンを見るのは辛いのだ。
寒さが身にしみ始めた秋だから、屋内で歌を楽しんでほしい。

「雨音」をやらせてもらった場所で、
木枯らしも気にせず歌を楽しめるイベントがやりたい。

今回は二つ返事で、「自然の広場」使用をOKしてくれた。
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2001年11月2日(金)
風音〜紅謡樹〜 THE ANSWER'S BLOWING (相鉄ジョイナス・自然の広場)
どどんぱ Funny Bay Beans ハイカラ 中原明彦 TAKU Green Piece 東龍太郎

当時横浜路上シーンのニューカマーだった、女性VoのバンドFunny Bay Beansと、二人組のどどんぱが初参加。今回もハイカラ参加で、スタッフのテンションがあがったのはいうまでもない。

イベントを行うとどうしても、困った客というのがついてくる。
規模が大きくなればなるほど仕方ない課題ではある。
でも濱音イベントで、そういったトラブルはついぞ聞くことはなかった。

歌のよさだけではなく、前回の「雨音」でファンのみんなのモラルある行動を見て、ジョイナスのスタッフの皆さんは今回もそれを信じてくれたんだろう、と直感的に思った。歌いやすい環境、歌を楽しみやすい環境は、みんなで作り上げていくもの。その気持ちが全員同じ方向を向いていて、それがとても嬉しかったのを今でも覚えている。


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つづく。

開催まであと9日。
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by hamaoto | 2007-11-21 00:22 | ◆濱音ヒストリー◆


by hamaoto
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濱音 開催情報
「濱音-第五譜-」
11月30日(金)CLUB24YOKOHAMA

OPEN 16:30 START 17:30
前売¥2,500 当日¥3,000
ドリンク代別、入場整理番号順
問合せ:045-252-4120(CLUB24)

出演:
Green Piece
NUDE VOICE
オオゼキタク
サスケ
サスライメイカー
ザ★スパイ
ロクセンチ

「濱音」は 、
参加するミュージシャン達が、自主的に企画・運営するライブイベント。
ブッキングからロゴ・映像制作、パンフレットやグッズ制作などももちろんアーティスト自身の手で行っています。
今回は「12月で閉店してしまうライブハウス・CLUB24への感謝の気持ちを込めてライブをしないか」、そう声をかけあって、久々に仲間が集まりました。前回の「濱音-第四譜-」から約5年ぶりの開催。CLUB24で、一緒に楽しい時間を過ごしましょう!

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