濱音ヒストリー その25
今日は濱音から少し離れて、ツキオンについて書こうと思う。
「月の音楽会(ツキオンと呼ぶ)」は夏の終わりに横浜・八景島で行われたイベント。
イベントステージを借り切った完全自主制作の野外イベントで、2000年~2002年の3年間開催された。
横浜のライブハウスで行われる前段イベント「アポロ○号」や横浜ベイサイドマリーナ等でのプロモーションライブは、ツキオンに向かって気持ちをひとつに高めていく意味をなしており、常連メンバーのYASKIやゑこらいとともにEiichiやGreen Piece、TAKUがこれに参加した。
ツキオンは主人公が明確である。
Chojiという総合責任者がいて、彼が思い描いた完成形に向かって推進してゆくのだ。
予算管理、映像制作、会場設営、機材搬入出、当日の生ピアノの用意や弦楽四重奏セッションの依頼まですべて、自分たちの手で行われることに驚いた。
YASKIをはじめChojiと想いを同じくするミュージシャンが共同制作する構図で、ほぼ私財をなげうって成立しているといってもいいChojiのライフワークともいうべきイベントだった。
「大丈夫、絶対晴れるから」
その言葉にも表れているとおり、Chojiには強い信念があった。
その信じる力の強さが吸引力となって、ミュージシャンやファンの気持ちを掴んだ。その想いがとても純粋で、憧れに近い思いを抱いたのを覚えている。
Chojiはのちに、自ら音楽制作会社(株式会社ツキオン・エンターテイメント)を立ち上げ現在に至る。
ツキオンと比べると「濱音」は、『輪』から始まっているイベントであった。
一個人の強いイニシアチブで引っ張っていくというよりは、ミュージシャンやそのファンが集まって自然発生的にできる幸せな『輪』を形にできないか、という想いからスタートしたことを思い出した。時と場合により、強権発動で進めて行かねばならない時もある。輪の大切さを知るあまり、主張を躊躇したり、個々の活動をないがしろにしてまで輪の成立に徹してしまったりもする。
それでも、
濱人たちは、その輪をつくっているファンの温かい気持ちが好きだった。
その気持ちに歌で応えようと思った。
その想いだけで、続けて来たといってもいいかもしれない。
「想い」という形の見えないものが中心にあって、それを素晴らしいと思ってくれる人が輪になってはじめて成立する「濱音」。ツキオンのノウハウを吸収し、おおいに影響を受けて改めて自らのスタンスを再認識した出演者たちであった。
ツキオン開催前の2002年8月7日、
僕たちの手で、本当の「濱音」をやらないか。
ふと思いついたアイデアが、実現する。
そして濱人たちとファンは、
一生忘れられない景色を目の当たりとすることとなる。
つづく。
開催まであと4日。
by hamaoto
| 2007-11-26 02:18
| ◆濱音ヒストリー◆